[会員へのお知らせ] 小野武年先生を偲んで

小野武年先生を偲んで

日本神経科学学会名誉会員の小野武年先生(元富山医科薬科大学学長、元日本情動学会理事長、富山大学・特任教授)が、2022年12月15日(木)に逝去されました(享年84歳)。本学会では、2005-2007年に理事をお務めになりました。心より先生のご冥福をお祈り致します。

西条寿夫
富山大学・学術研究部(医学)特別研究教授
 小野武年先生は、視床下部における各種代謝産物やホルモンなど生体の内部環境情報処理の神経機構をニューロン膜レベルで解明し、また本能行動、情動、認知・記憶・学習、予測や意思決定ならびに行動遂行の神経機構に関する研究をいち早く始め、行動神経科学の発展に大いに貢献されました。
 小野先生は、九州の田舎で5歳から大学入学まで祖母と過ごし,自然界の動物植物が織りなす複雑で微妙な現象、飼育動物の振る舞いや習性などに直に触れ、エソロジーの基礎を習得されたそうです。鹿児島大学入学後は、時実先生の名著「脳の話」ならびに大村裕先生(恩師)に出会い、神経生理学を志したそうです。大村先生と一緒に金沢大学に移られてからは、幸いにも伊藤正男、萩原生長、田崎一二、時実先生門下の川村浩、久保田競、酒田英夫、および岩村吉晃先生などの多くの先生方、ならびにJ.C. Eccles卿、W.K. Noell、およびM.J. Waynerなどの優れた指導者に恵まれました。これら著名な先生から研究者としての心掛けやニューロン膜、シナプス、神経回路網、行動などに関する神経生理学の基礎を学び、1974年当時、まだ神経生理学的研究がほとんど行われていなかった情動・記憶の研究をニューロン・行動レベルから着手し、約半世紀にわたり神経伝達物質、免疫、さらには遺伝子・分子レベルまで総合的な研究を進めて参りました。
 1965-1970年、小野先生は恩師大村先生のもとで視床下部摂食調節機構の研究に携わり、ラット視床下部におけるグルコースや遊離脂肪酸、インスリン等の代謝産物やホルモンの濃度を感知する多チャンネル化学受容器ニューロンの存在を実証し、これら視床下部ニューロンと扁桃体間の神経回路により本能(情動)である摂食行動の開始や停止が制御されているとの仮説を発表されました。この頃からエソロジーの問題とも密接に関係する本能や情動行動の脳内機構に関する本格的研究の重要性を予感し、その後Eccles卿をはじめ数々の著名な教授の研究室に留学するとともに、欧米・東欧での学会発表や当時の先進的な研究室で実験や討論を通して見聞を深められました。
 1977年より富山医科薬科大学(大学統合により、現富山大学)・第二生理学講座の教授に就任され、情動・記憶の先駆的研究を開始されました。歴史的には、情動の神経学的な研究は、17世紀のDescartesまで遡ります。PavlovやCannonは、偉大な生理学者であるCarl LudwigやClaude Bernardに続き、1870-1930年代に情動発現と自律神経調節における近代的概念を確立しました。しかし、霊長類等では、本能や情動表出を司る視床下部より上位の調節機構は依然として実体が不明でありました。それは、情動(感情)の定量化が難しいため情動は捉え難く、情動に関するニューロンレベルでの研究は脳科学の対象とはならなかったと聞いております。当時小野先生は、扁桃体を中心とする大脳辺縁系や大脳基底核、ならびに前頭葉の重要性に気づき、その神経生理学的研究を、霊長類や齧歯類を用いて国内外の共同研究者と精力的に進めてこられました。
 小野先生は、まずラットや霊長類のサルに実際に報酬性、嫌悪性および意味のない物体または音を提示して、ニューロン活動と情動行動との相関を解析する実験に着手されました。サルではEverts式に変わる新しい亜急性実験用頭部固定装置を考案し、同方法の応用により1985年にはラット用の亜急性脳固定実験システムも新たに開発しております。これらの方法は、近年マウスにおける光遺伝学的記録実験にも応用されております。これらの方法を用い、1)扁桃体は、物体や音の生物学的価値判断や、報酬性、あるいは嫌悪性の特定の物体や音の生物学的意味認知による快・不快情動発現に、2)視床下部は、扁桃体からの様々な情報を統合し、接近、攻撃、逃避行動などの快・不快情動の表出に、3)視床背内側核や前部帯状回は、扁桃体からの情報を行動(運動)への変換や意欲の発現に、4)前頭前野は報酬予測や意思決定に、5)大脳基底核(線条体→淡蒼球→黒質網様部)は前頭葉や大脳辺縁系から入力を受け行動選択に、6)側坐核は報酬予測や行動変換に、7)これまで大脳新皮質や大脳辺縁系への単なる中継核と考えられてきた間脳の視床は、過去の報酬体験と将来の報酬予測の符号化に関与することなどを明らかにされております。また、8)当時はDREDDや光遺伝学的方法を利用できなかったため、可逆的脳内局所機能停止法(冷却や麻酔)を用い、下側頭皮質-扁桃体-視床下部外側野のニューロン回路における情動行動中の動的機能相関を明らかにされました。当時は、特にサルを用いた視覚性の報酬認知の研究ではこの方面の研究者が少なく、Oxford大学のRolls教授が、良きライバルであるとともに共同研究者でもありました。
 一方、情動発現にはいつ(時間)、どこで(場所)、何がまたは誰が(事物)どうした(出来事)など過去の思い出の記憶との照合が不可欠ですが、とくに霊長類のサルでは広い実験室が必要であるため、1980年代当時まで霊長類の自身の空間移動に基づいた場所や出来事の記憶に関するニューロンレベルの研究はなかったのが現状でありました。そこで小野先生は、サルが自己運転により広い実験室内を自由に移動できる一種のサル用自動車を作製し、様々な空間、場所、出来事に対するニューロンの応答性を解析する実験システムを開発されました。本実験システムを用いて、小野先生はサルの海馬体や中隔には、ラットの場所ニューロンに相当するニューロンや空間と報酬の連合に関与するニューロンが存在し、さらにこれらのニューロン集団により実験室内の空間が再現されていることを霊長類で初めて報告されました。以上のご功績により、小野先生は、セッシェノフ賞(1984, 1996年)、アノーヒン賞(1986年)、アナンド賞(1992年)、中日文化賞(1994年)、時実利彦記念賞特別賞(1999年)、ならびに安藤百福賞大賞(2013年)等、国内外の数多くの受賞を受けておられます。
 情動・記憶のしくみの解明には、ニューロン、ニューロン回路網、分子や遺伝子、免疫など統合的な研究が必要ですが、このように小野先生はとくにニューロンとニューロン回路網、それらの相互作用、および行動の面からの研究に多くの時間を費やし、数多くの国際レベルの発表を行ってこられました。これら「情動・記憶」のしくみを科学で説明する脳科学や関連する分野での研究成果は、近年発症が急増している発達障害やうつ病など各種精神疾患の予防・治療、さらには悲惨な殺傷や破壊など人間社会の物心両面の一大危機を防ぐ情動教育にも役立つと考えられます。このため、脳科学の社会への応用を見据え、本間生夫先生や船橋新太郎先生らとともに2006年10月に「日本情動研究会」を、2011年4月に「日本情動学会」(初代理事長、名誉理事長)を設立されております。また、日本情動学会の理事長として情動研究の重要性を広く社会に訴えるため、情動学シリーズ(10巻、朝倉書店、小野武年監修)を刊行されました。

コレージュ・ド・フランスの招聘により2000年8月にパリに一ヶ月滞在し、「情動・記憶」について公開講義をした折の写真。近代実験医学の創始者Claude Bernard (1813-1878)の銅像の前にて。

パリからの帰途J. O'Keefe博士(2014年ノーベル医学生理学賞受賞)の研究室を訪問した時の写真(University College of London)にて。
 さらに、小野先生は研究者間の交流を深めるため、国際シンポジウムを3回開催し、毎回富山に国内外から各20名以上の第一線の脳科学者を招いて精力的に活躍されてこられました。これらの先生方とは現在も交流が続いており、多くの先生方からこの度の訃報に対して追悼のお言葉を頂いております。最後に、その中からコレージュ・ド・フランスBerthoz教授およびカナダブリティッシュコロンビア大学Phillips教授からの追悼文をご紹介し、心より小野武年先生のご冥福をお祈りしたいと存じます。

Paris December 20th, 2022
      

Hommage to Professor Taketoshi Ono

I want to express my great sorrow when I heard that Professor Taketoshi Ono passed away. I met him many years ago when he organised, with Edmund Rolls from Oxford, a Human Frontier Science project on Temporal Lobe Mechanisms of Recognition and Memory (from 1988 to 1990) and gave me the privilege of participating in this project and learning from his deep knowledge. Since then we had many encounters in his laboratory in Toyama, and even in Thailand at a world Neuroscience Congress. I still have the chance to cooperate with Pr Hisao Nishijo and his team.
Over all these years I have admired the extraordinary pioneering scientific ideas of Professor Ono and his capacity to build completely innovating experimental paradigms to solve each question and support his hypothesis. I consider that his contribution, which is so varied, is crucial for our understanding of the brain and is at the highest level of international studies. I have also admired his development of new technologies for the study of the human brain and his effort to build brain imaging methods. For Professor Taketoshi Ono each specific detailed experimental question had, in fact, a general impact on global brain function, and beyond, was meaningful for the humanistic idea he had of how mankind may benefit even from an apparently limited new piece of knowledge.
I also have been a witness to his very powerful teaching towards young students of the hard ways to do science properly and transmit his passion of well defined questions and well done, patient, work.
His excellency in science was accompanied by warm and precious human qualities. He was enthusiastic and had a deep belief in the importance of knowledge but also was always ready to welcome, share joy in success and help to fight distress when things were difficult. We lost him a great scientist, a wonderful man and a generous, joyful, and faithful friend. His memory will stay with us.
I want to express to his family my shared deep feeling of sadness.
Alain Berthoz
Honorary Professor at the Collège de France
Member of French Academy of Sciences. American Academy of Arts and Sciences. Belgium Royal Academy of Medicine and Sciences. Bulgarian Academy of Medicine.
Berthoz 教授からの追悼文
Dear Kenjiro:
I have just received the sad news that my dearest friend and your beloved father Taketoshi has passed away. Margo and I always enjoyed our social interactions with him most recently in your company, and we take comfort from these lasting memories of him in good health and stimulating mind.
I especially enjoyed my many shared intellectual and scientific exchanges that spanned over nearly 4 decades. Our friendship became even closer when he invited me to a small meeting of neuroscientists at Ripken organized by himself and Gen Matsumoto at the turn of the century. It was a very stimulating event focused largely on the neural basis of learning and memory to which Taketoshi made so many major contributions throughout his long and distinguished career.
Taketoshi will always hold unique place in my memory of special friends who made a lasting impression on my life.
Please extend our condolences to your dear mother Reiko who thankfully remains a dear friend. As I mentioned in a pervious email, the two Japanese warrior dolls she kindly gave me still have a prominent place in my UBC office and I think of her and Taketoshi often when I see them.
Take care during this time of significant change.
Fond regards,
Tony
Anthony Phillips, CM,PhD, FRSC, FCAHS
Professor
Djavad Mowafaghian Centre for Brain Health
UBC
Phillips 教授からご子息(小野賢二郎教授 , 金沢大学脳神経内科)への追悼

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