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発症1週間後の脳梗塞マウスで治療効果を発揮する
蛋白質徐放性ゲル化ペプチドの開発

東京農工大学大学院工学府 応用化学専攻
博士後期課程1年
矢口 敦也
脳内で蛋白質をゆっくりと放出(徐放)するゲル化ペプチドJigSAPを開発しました。脳梗塞発症1週間後のモデルマウスの脳内に、JigSAPを結合させた血管内皮増殖因子(VEGF)をJigSAPゲルと共に単回投与することで、脳損傷部周辺において血管新生促進効果とニューロンの細胞死抑制効果が観察され、さらに歩行機能の改善が見られました。脳梗塞に対する細胞を使わない新しい再生治療技術として期待されます。
脳梗塞に対して、現在、血栓溶解治療と血栓回収治療が行われていますが、それぞれ発症から4.5時間以内と8時間以内の治療開始が必要とされるなど、治療可能な期間は限定的です。一方、発症1週間後程度の亜急性期脳梗塞に対し、血管内皮増殖因子(VEGF)を複数回投与する手法が治療効果を発揮することが知られていますが、脳内に物質を定期的に投与することは、患者への身体的負担などの観点から問題がありました。本研究では、未だ治療法が確立されていない発症から約1週間後の亜急性期脳梗塞に対する新規治療技術として、分子集合を精密制御する超分子化学の立場から、蛋白質をゆっくりと放出(徐放)し単回投与で治療効果を発揮するゲル化ペプチドの開発に取り組みました。
 細胞外マトリクスは、コラーゲンなどの線維状蛋白質から構成されるゲル状組織であり、細胞接着性だけでなく分泌性蛋白質の拡散を調節し、細胞の分化や生存、増殖を制御する場として機能しています。我々は、組織再生の中心的役割を担う細胞外マトリクスの多面的機能を再構築した材料を開発することで、新規再生治療技術を確立できると考えました。その基盤材料として、一次元集積し繊維状構造体を構築する自己集合性ペプチドに注目しました。一般に、ペプチドゲルは細胞接着性を持ち、また分解されると元のペプチドやアミノ酸に戻るため高い安全性が期待され、臨床応用に適します。我々は、蛋白質の取り込みと徐放を両立する初の自己集合性ペプチドとして、11アミノ酸残基からなるゲル化ペプチドJigSAPを開発しました。VEGFの連続投与が亜急性期脳梗塞に対する治療効果を発揮することに着目し、VEGFにJigSAP分子を結合させたVEGF-JigSAPをJigSAPゲルと混合したところ、VEGF-JigSAPが効率的にゲル内に取り込まれ、さらに生理的環境で1週間かけてゲル外へ徐放されることが示されました。JigSAPの分子構造に由来する、高い自己集合性や構造可変性、親水性といった特性から、蛋白質の取り込みと徐放の両立に成功したと考えられます。
 VEGF-JigSAPとJigSAPの混合ゲルを脳梗塞発症1週間後のマウス脳内に投与すると、脳損傷部周辺において血管新生促進効果とニューロンの細胞死抑制効果が見られ、さらにはマウスの歩行機能の改善が示されました。本研究は、亜急性期脳梗塞に対し、細胞移植ではなく、薬剤の単回投与で治療効果を示す自己集合性ペプチドについての初の報告です。化学合成できるペプチド材料は、安全性、品質安定性と大量生産性に優れます。今回の研究成果は、超分子化学を駆使して構築された細胞外マトリクス類似ペプチド材料を用いた亜急性期脳梗塞治療の新たな可能性を実証するものです。
【論文】
論文タイトル:
Efficient protein incorporation and release by a jigsaw-shaped self-assembling peptide hydrogel for injured brain regeneration
著者:
Atsuya Yaguchi, Mio Oshikawa, Go Watanabe, Hirotsugu Hiramatsu, Noriyuki Uchida, Chikako Hara, Naoko Kaneko, Kazunobu Sawamoto, Takahiro Muraoka, Itsuki Ajioka
掲載年月日:
19 Nov. 2021
雑誌:
Nature Communications (Volume 12, Article number: 6623)
VEGF蛋白質にJigSAP分子を結合させたVEGF-JigSAPを過剰量のJigSAPと混合しゲル化すると、VEGF-JigSAPがJigSAPゲル内に取り込まれ、1週間かけてゲル外へ徐放される。JigSAPとVEGF-JigSAPの混合物を脳梗塞発症1週間後のマウス脳内に投与すると、脳損傷部周辺における血管再生促進効果とニューロンの細胞死抑制効果、さらには、脳梗塞により生じた歩行機能障害の改善効果が認められた。
【研究者の声】
私が開発した材料を用いて、亜急性期脳梗塞に対する新しい治療法の開発という、多くの方々のQOLを改善し得る成果が得られたことを大変喜ばしく思います。また本研究において、動的構造モチーフを独自に導入したペプチドが、期待通りゲル化し、さらに未だ達成されていなかった全長蛋白質の取り込みと徐放を示した際は、非常に嬉しかったです。
最後になりましたが、議論を重ねながらも自由に研究を進めさせてくださった本論文の共同研究者の皆様、粘弾性測定法に関してご助言いただきました岩田直人先生(東京理科大学)、X線回折測定を行って下さった梶谷孝博士(東京工業大学)にこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。
【略歴】
2020年3月に東京農工大学工学部有機材料化学科卒業。2021年9月に同学大学院工学府応用化学専攻博士前期課程早期修了。2021年10月より同学大学院工学府応用化学専攻博士後期課程に進学し現在に至る。2022年4月より日本学術振興会特別研究員DC1。
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