マウス脳における複雑な視覚神経ネットワークの形成過程を解明
東京大学 大学院医学系研究科 機能生物学専攻
助教
村上 知成
視覚情報を処理する大脳神経回路は、多くの領域の間で巧妙に配線されて作られますが、そのしくみはほとんど分かっていませんでした。今回、生後数日の未熟なマウス脳で、領域ごとに同時並行で配線を進めるという視覚神経回路の効率的形成戦略を見出しました。
哺乳類の脳で特によく発達している大脳皮質の視覚野は、霊長類で30、齧歯類でも10以上の領野から成ります。領野間を結ぶ多数の神経結合が作られることで、階層性をもつ神経ネットワークができます。不思議なことに、私たちの脳はこの複雑な脳の配線を、大きな個体差もなく発達期に正確に形成できます。これまでの研究により、網膜から大脳皮質の一次視覚野に至る 回路の形成メカニズムは詳細に分かっています。一方、 大脳皮質視覚野の領野間をつなぐネットワークがどのように形成されるのかは、ほとんど分かっていませんでした。
領野間の結合がどのようにできるかを追跡するにあたり、発達期の未熟な脳ではそれぞれの領野の正確な位置を特定すること自体が困難という障壁がありました。そこで本研究ではまず、活動した神経細胞が光るようにした遺伝子改変マウスの開眼前の未成熟な脳を用いて、大脳皮質視覚野全体で自発的に起こる神経活動を記録し、その活動パターンを機能的相関解析(*)することで一次視覚野(V1)とその他多くの高次視覚野の位置を正確に同定することに成功しました(図A, B)。これにより、色素(DiI)を用いた神経軸索の投射の可視化や神経細胞の活動を抑制する実験を行って、領野間の結合がいつ作られるかを調べることが可能になりました。その結果、まず網膜から視床核を経由した視覚野までの並列な2つの経路(モジュール)[網膜→低次視床核(dLGN)→V1]と、[網膜→上丘→高次視床核(LPN)→高次視覚野]が形成され(図C)、その後に、視覚野内の領域間結合が形成されることを発見しました。この並列モジュールは網膜の自発活動を独立に大脳皮質まで伝えていますが、その網膜の活動を遮断すると大脳皮質の中でV1から高次視覚野への投射が正しく形成されなくなることも分かりました 。
このように、我々はマウス視覚神経ネットワークの発達において、まず網膜から各皮質領野に至る並列モジュールが形成され、その回路を伝わる網膜からの情報をもとに、皮質の領域間結合が形成される一連の過程を明らかにしました。この知見は脳発達研究の分野だけでなく先天盲や早期失明の病態を理解することにも役立つとともに、生物の神経回路のでき方を模した汎用的な人工知能開発にも寄与する可能性が期待されます。
<用語の説明>
機能的相関解析:脳領域の一部で観察された自発活動とそれ以外の脳領域での自発活動の相関係数を計算し、神経活動の同期性を調べる手法。複数の脳領野の間で神経活動が強く同期している場合、これらの間に直接あるいは間接的な強い神経結合があると解釈される。
<論文詳細>
Modular strategy for development of the hierarchical visual network in mice Tomonari Murakami, Teppei Matsui, Masato Uemura & Kenichi Ohki
Nature volume 608, pages 578–585 (2022)
https://doi.org/10.1038/s41586-022-05045-w.
<図の説明>
- 広域カルシウムイメージングの実験系模式図。
- 発達期自発活動の機能的相関解析から得られた機能的相関マップ。破線はV1領域であり、V1内で似た自発活動パターンを示す領域を赤、緑、青に色分けしている。そして赤、緑、青それぞれのV1領域と似た自発活動パターンを持つV1周辺の領域が同様に赤、緑、青で色分けされている。この赤、緑、青の色付きパターンが成体マウスの視覚野が持つ構造と一致しており、これにより赤、緑、青の3色セットを持つ領域は個別の高次視覚野と同定された。
- 本研究で明らかになった視覚神経ネットワーク形成の概略図。網膜から視床核を経由した視覚野までの投射「網膜→低次視床核(dLGN)→V1」(黒矢印)と「網膜→上丘→高次視床核(LPN)→高次視覚野」(マゼンタ矢印)の経路が視覚野同士の結合よりも先に形成される(並列モジュール構造)。そして並列モジュールを伝播する網膜自発活動の助けを借りて、視覚野同士の結合が形成される。
<研究者の声>
2012年に九州大学の医科学修士課程に入学した年にスタートした本研究を、周りの方からたくさんの助けを受け、幸運にも恵まれついに論文として形にすることができ大変嬉しく思います。研究を進めていく中で困難であった実験もありましたが、素晴らしい環境に恵まれて良い結果を得ることができました。今はまだスタート地点であり、視覚領野間の結合を誘導する分子や活動依存的なコントロールなどの形成機序について、今後も探求していきたいと考えています。10年もの長い時間がかかったにも関わらず、自由に研究を続けさせてくださった大木研一教授、常に面白いテーマだと励まし、議論に付き合ってくださった松井鉄平岡山大学准教授(当時は大木研究室講師)、新たな実験系立ち上げに重要なピースを提供してくださった上村允人関西医科大助教(当時は大木研究室特任助教)、また研究室内外のお世話になった皆様にこの場を借りてお礼を申し上げます。
<略歴>
2017年、九州大学大学院医学系研究科博士課程修了。
東京大学医学部博士研究員、特任助教を経て2019年より現職。