[一般の方へ ] 神経科学トピックス

言葉が示す内容と記された色の矛盾を乗り越えるための脳のしくみ

慶應義塾大学大学院理工学研究科
大学院生(研究当時)
岡安 萌
言葉が示す内容と,その言葉が記された色が矛盾するときに生じる「ストループ効果」は,色を答えるときではなく,色がついた単語を知覚するときに起こり,その解消には,大脳の前部にある前頭前野と,小脳の外側にある皮質が含まれるループ回路が重要であることを発見しました.
 「あお」と赤色で「あお」という単語が書かれているとき,その視覚的な色(赤)を答えることは,「あか」(赤色で「あか」)と書かれている場合と比較して難しいことが知られています(図a).この現象は1935年,心理学者のストループによって報告されたことから「ストループ効果」と呼ばれています.言葉が指し示す内容(意味)は,ヒト脳の多階層で高度な情報処理を経て理解される一方で,色の情報は眼球の内側の網膜で得られ脳に伝わります.従って,ストループ効果では,ヒトに特有で柔軟な言葉の機能が,外界の基本的な情報を妨害していることになります.この意外で強固な現象を不思議に思った研究者たちは,多くの研究をしてきました.しかし,この効果が脳でどのように生じ,どのようにして正しく答えられるのかは不明でした.
  私たちはストループ効果における言葉の役割を明らかにするために,知覚(見る)と応答(答える)という,二つの異なる段階で言葉の使用の有無を替え,ストループ効果が生じる時の脳活動を機能的MRIで計測しました.ヒト被験者は「ストループ課題」(図b左),または知覚に言葉を含まない「スイミー課題」(図b右)を行い,正解を言葉に出すか(口頭),またはボタンを押して答えました(図c).「スイミー」という名前は,小さな魚がならんで大きな魚に見えるという絵本からつけられています.この課題では,小さい二等辺三角形の並びが,大きい相似の三角形の外形を成しています.被験者は,三角形の色に従って外形または個別の三角形の向きを答えました. このスイミー課題では,三角形の向きが個別と外形で異なっているため,ストループ課題と同様に知覚の矛盾により正しい応答が難しくなります.しかし,言葉を知覚することはないという点でストループ課題と対照的です.
 ストループ課題では,大脳左半球の外側前部にある前頭前野と,小脳右半球の外側にある皮質に活動が観察されました(図d/e).そしてこの傾向は,口頭で答えても,ボタンで答えても同様でした.一方で,言葉を含まないスイミー課題では,左右の半球間の活動の差は観察されませんでした.これらの結果は,左前頭前野と右小脳皮質が,色と言葉の知覚の矛盾を乗り越えて適切な応答をするときに重要であることを示唆しています.
 大脳と小脳は,大規模なループ状の神経回路を形成していることが知られています.そこで,ストループ効果における左前頭前野と右小脳の信号伝達の様式を調べました.すると,前頭前野から小脳へは興奮性であり,小脳から前頭前野へは抑制性であることがわかりました(図f).これまでの生理学的研究結果からは,小脳皮質からの神経情報の出力は,小脳核への抑制性信号のみであることが知られており,本研究の結果と関係があるのではないかと私たちは推測しています.
 私たちの結果は,ストループ効果に関わる神経機構の研究に新たな視点を提示できたと思っています.また,これまでの大脳・小脳ループの研究は,非ヒト動物の感覚・運動機能に焦点を当てていました.本研究は,ヒトに特有な高度な認知や言葉の機能においてもこのループ回路が関わることを示すことで,大脳・小脳ループの研究領域を拡張させることができたと思っています.
<掲載ジャーナル>
The Stroop effect involves an excitatory–inhibitory fronto–cerebellar loop.
Okayasu M, Inukai T, Tanaka D, Tsumura K, Shintaki R, Takeda M, Nakahara K, Jimura K.
Nature Communications 14: 27, 2023.
https://doi.org/10.1038/s41467-022-35397-w
<図の説明>
  1. ストループ効果.
  2. 行動課題.
  3. 応答方法.
  4. ストループ効果における大脳の活動.
  5. 同,小脳の活動.
  6. ストループ効果における左前頭前野と右小脳の信号伝達様式.
<研究者の声>
 本研究の一連の実験は,ヒトを観察対象とし,かつ発話応答を必要とするため,新型コロナウイルス感染症蔓延により実施に困難がありました.この状況で研究を進めていくために,高知工科大学脳コミュニケーション研究センターの中原潔先生・竹田真己先生には指導と支援を賜りました.心より感謝いたします.データ収集のために何度も高知に赴き,完了させたときの達成感は忘れられません.研究を通して培った,未知の事象に対し探究心を持ち,試行錯誤しながら論理立てて解決していく姿勢は,研究を離れた現在でも役に立っています.また,研究と運動部の活動を最後までやり切るために,多くの方々が支えてくださったことにお礼を申し上げます.
<略歴>
2020年慶應義塾大学理工学部卒業,2022年同大学大学院理工学研究科修士課程修了.現在民間企業に勤務.2019年4月から2022年3月まで同理工学部の地村弘二准教授(現群馬大学情報学部教授)の研究室に所属.大学では体育会フィギュアスケート部に所属し,4年生の2月まで現役で活動.
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