[一般の方へ ] 神経科学トピックス

シナプスの個性を決める分子群の微細な集積構造
-脳標本とともに『膨らむ』神経科学研究の夢-

慶應義塾大学医学部生理学教室
博士課程大学院生
野澤 和弥
標本を膨張させて高分解能を得るExpansion Microscopy(ExM, 膨張顕微鏡法)をシナプス観察に最適化することで、各シナプスの個性を決める分子群の集積構造をナノレベル(1/1,000,000 ミリメートルの大きさ)で捉えることに成功しました。
 私たちの脳内では、約860億個の神経細胞がそこから出たその何倍もの神経突起を互いに交差し、約1000兆個もの「シナプス」を形成することで、記憶や学習をはじめとする高次脳機能に必須な神経回路網を構築します。神経細胞の種類に応じて、シナプスはそれぞれ特有の形や機能を備えており、このシナプスの個性が神経回路網内の情報処理において重要な役割を果たしています。しかし、シナプスの個性がどのようなしくみで形成されるのかについては、未だよく分かっていません。その大きな要因は、シナプスを支える分子群が約100~1000 nmの狭い領域に密集しているため、従来の光学顕微鏡の分解能(約200 nm)ではその詳細な分布が観察できないためです。そこで私たちは、顕微鏡の性能を向上させる代わりに、標本そのものを物理的に約1000倍の体積に膨張させることで高い分解能を得る技術Expansion microscopy(ExM;膨張顕微鏡法)を改良し、シナプスの詳細な内部構造を観察することにしました。
特に、シナプスの形成や機能を制御する代表的な分子群であるニューレキシンとその結合分子群(ニューレキシンリガンド)であるNlgn1、LRRTM1、Cbln1-GluD1複合体に着目すると、これらの分子群はシナプスに一様に存在するのではなく、シナプス内の数十nmの範囲に集積する「ナノドメイン」と呼ばれる特殊な集積様式を示し、シナプスの種類によってそれぞれ異なるナノドメイン構造を形成することがわかりました。また、各ナノドメイン構造はシナプス前部に存在するニューレキシンの種類によって規定され、それぞれのナノドメイン構造には各ニューレキシンリガンドに選択的なグルタミン酸受容体も集積していることがわかりました。グルタミン酸受容体は、シナプス機能を担う最も重要な分子の1つであることから、ニューレキシンリガンドによるグルタミン酸受容体のナノドメイン制御はそれぞれのシナプスの個性を決定する分子基盤となっていると考えられます。
近年、様々な精神疾患や神経発達症(発達障害)、神経疾患などでは、共通してシナプスに病変が見られることから、適切な個性を持ったシナプスを正しく形成し維持することは正常な脳機能を発揮する上で極めて重要であると考えられます。今回の研究成果から、そのような脳の働きを支えるシナプスの個性は、それぞれに特化したシナプス分子がナノレベルで相互作用することによって作られることが考えられます。そのため、本研究と同様のアプローチを用い、今後さらにシナプスのナノレベルの構造を明らかにすることで、正常な脳機能を支える分子メカニズムや関連疾患の病態の理解、また、その知識に基づいた新たな治療戦略の創出につながることが期待されます。
<掲載ジャーナル>
In vivo nanoscopic landscape of neurexin ligands underlying anterograde synapse specification.
Kazuya Nozawa, Taku Sogabe, Ayumi Hayashi, Junko Motohashi, Eriko Miura, Itaru Arai, Michisuke Yuzaki.
Neuron 110, 3168–3185, October 5, 2022.
https://doi.org/10.1016/j.neuron.2022.07.027
<図の説明>
(上段)
ExMでは、マウス脳標本を膨張性ゲルの中に埋めて約1000倍の体積に膨らませ、拡大標本を顕微鏡で観察する。
(中段)
拡大前後に撮影した同じシナプスの顕微鏡画像。ExMによって高い解像度でシナプスの観察が可能になった。
(下段)
ExMによって、それぞれの脳領域(大脳皮質、海馬、小脳)のシナプスにおいてニューレキシンリガンド(Nlgn1, LRRTM1, Cbln1-GluD1複合体)が異なるナノドメインを形成することが明らかになった。それぞれのリガンドは、大脳皮質で別々のナノドメインを形成する一方で、海馬や小脳では同じナノドメイン(図中矢印)に集積していた。スケールバーは300 ナノメートル。
<研究者の声>
ExMの実験系が立ち上がり、現在の鮮明さでシナプスを観察できるようになったのは、柚﨑研究室に所属し、研究を始めてから4年目の時でした。それまでの3年間、従来の顕微鏡でぼやっと見えていたものをExMの高い解像度で観察したとき、初めて本当のシナプス分子の姿を見たような、そんな感動を覚えました。一緒にExMの実験系を立ち上げに携わってくれた医学部学生の曽我部 拓 君をはじめ、ご指導、サポートしてくださった柚﨑研の皆様に心より感謝いたします。現在もExMを含む、様々な顕微鏡技術が日々進歩しており、これからどんな世界が見えるようになっていくのか、夢は膨らむばかりです。
<略歴>
2016年4月より 慶應義塾大学大学院医学研究科(修士課程)入学、現在に至る。
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