[一般の方へ ] 神経科学トピックス

記憶をアップデートする仕組みを解明

富山大学・学術研究部医学系
助教
鈴木 章円
新たな経験によってそれまでの記憶が書き換えられる(アップデートされる)ことは日常的に経験します。しかし、脳の中で新たな経験が、過去の記憶とどのように結びつくのかはこれまで不明でした。本研究では、過去の経験時に活性化された頭頂葉皮質の神経細胞群が、過去の記憶と現在の経験を結びつけ、記憶をアップデートすることを明らかにしました。
 もし、あなたが日常利用している交差点で、交通事故を目撃した場合、「交差点で交通事故が起きた」と覚えるのではないでしょうか。これは、これまで記憶していた交差点という場所に交通事故を目撃したという経験が結びつき、新たな記憶へとアップデートされたことを意味しています。
 このように、記憶は永久に不変ではなく、経験によりアップデートすることによって、新たな知識を獲得したり、変化する日常に適応することができます。しかし、過去の記憶と現在の情報がどのように結びつくかは不明でした。
 本研究では、場所と恐怖体験を結びつける学習課題を用いました。マウスは新規環境(四角い箱)に入れられるとその場所を探索し、安全であると認識すると探索行動(=行動量)が減少します。その後、再び同じ箱に入れられると、「以前に入ったことのある安全な場所である」という記憶があるため、マウスは探索行動をほとんど起こさず、初めて箱に入れられた時と比較して低い行動量を示します。この行動量を測定することでマウスがその場所を記憶したと判断できます。今回用いた学習課題では、マウスは四角い箱を記憶した後、同じ箱で電気ショックを受けます。するとマウスは再度同じ箱に入れられると、高い恐怖反応である“すくみ反応”を示します。つまり、四角い箱の記憶に電気ショック体験を結びつけ、これまで安全と記憶していた場所が、この場所では電気ショックを受けるという、恐怖記憶へとアップデートされます。まず我々は、刺激に応じて発現が誘導されるArc RNAを標的としたCatFISH法を用いて、大脳皮質の一領域である頭頂葉皮質に、場所を記憶した時と電気ショックを受けた時、どちらにも活動する神経細胞群があることを発見しました。
 そこで、頭頂葉皮質の役割を行動レベルで検討するため、マウスが箱に入れられた時に活動した頭頂葉皮質の神経細胞群の活動を人為的に抑制しながら、電気ショックを与えたところ、恐怖反応を示しませんでした。この結果から、頭頂葉皮質の神経細胞群が、過去の記憶(場所の記憶)に新たな経験(電気ショック体験)を結びつける役割を持つことがわかりました。
 今回の研究は、必要に応じて記憶をアップデートする高次脳機能の解明につながる成果です。またPTSD (心的外傷後ストレス障害) は、災害や事故など、強いトラウマ体験を受けたことが心に深い傷となり発症する病気で、トラウマ体験を思い起こさせる刺激がきっかけとなり、当時の恐怖記憶が突然かつ非常に鮮明に思い出される現象、フラッシュバックなどを伴います。これらのトラウマ体験には、普段何気ない場所に交通事故などの強い恐怖体験が結びつくケースもあり、日常の中に恐怖記憶を思い出すきっかけがたくさん潜んでいます。本研究において、過去の記憶に新たな恐怖体験を結び付ける脳領域を発見しました。今後、どのようにして、両者が結びつくのか、より詳細なメカニズムを解明することで、PTSDを予防することを目的とした研究に役立つと期待されます。
<掲載ジャーナル>
A cortical cell ensemble in the posterior parietal cortex controls past experience-dependent memory updating.
Suzuki A, Kosugi S, Murayama E, Sasakawa E, Ohkawa N, Konno A, Hirai H, and Inokuchi K.
Nat Communications 13(1): 41, 2022.
https://doi.org/10.1038/s41467-021-27763-x
<図の説明>
  1. 頭頂葉皮質の位置。緑色の蛍光を発している場所が頭頂葉皮質を表している。
  2. 本実験において、マウスはまず四角い箱(場所)を覚える。その後、同じ箱で電気ショック体験を受けると、通常では場所と電気ショック体験が結びつき、四角い箱に入れられると電気ショックを受けるという恐怖記憶へとアップデートされる。しかし、頭頂葉皮質を抑制しながら電気ショック体験を受けると、場所と電気ショック体験が結びつかず恐怖記憶へとアップデートされない。
<研究者の声>
2011年に富山大学に赴任してから本研究をスタートし、思うように成果が出ず苦しんだ時期もありましたが、無事に論文として形にすることができ大変嬉しく思います。本研究では、頭頂葉皮質の新たな機能として経験依存的な記憶のアップデートを担うことを発見しました。これまで頭頂葉皮質は、様々な認知機能に関与していることが報告されており、今後の研究の益々の盛り上がりを期待しています。本論文の責任著者である井ノ口馨卓越教授をはじめ、共著者の方々、お世話になった皆様にこの場を借りてお礼を申し上げます。
<略歴>
2005年、東京農業大学大学院農学研究科農芸化学専攻博士課程修了。博士(農芸化学)。同大学応用生物科学部バイオサイエンス学科 博士研究員、米国マウントサイナイ医科大学 博士研究員、富山大学大学院医学薬学研究部(医学) 助教を経て2019年より現職。
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