繰り返し見た画像であれば見にくくなっても知覚できる脳の仕組み
東京大学 大学院医学系研究科 統合生理学分野
生理学研究所 視覚情報処理研究部門(研究当時)
特任助教
木村 梨絵
同じ画像を繰り返し見る経験をすることによって、その画像がぼやけて見にくくなった時に強く応答する神経細胞が一次視覚野において増加していることを発見しました。さらに、この細胞が見にくい画像の視知覚に貢献していることを明らかにしました。
薄暗い夕方や霧発生時には、視覚対象物のコントラストが低下して見にくくなりますが、同じ対象物を繰り返し見る経験をすることによって、その対象物が見にくくなっても知覚できるようになります。しかし、これを可能にする脳の仕組みはよくわかっていませんでした。
本研究では、スクリーンに縦縞が出たらレバーを押し、横縞が出たらレバーを引くという、縞の向きを判別する課題をラットに繰り返し経験させて学習させました(図A)。学習後に、縞のコントラストを下げて見にくくすると正答率が下がるものの、ラットはその縞の向きを判別することができました。この脳の仕組みを明らかにするために、課題遂行中の一次視覚野の神経活動を、多点電極を用いてマルチユニット記録しました。
一次視覚野の神経細胞は、視覚対象物のコントラストが高い画像に強く応答して、コントラストが低い画像には弱く応答することが知られていました。実際、学習させていないラットでは、これまでの報告のように、高コントラストの画像に強く応答する細胞ばかりでした。ところが、同じ画像を繰り返し見る経験をして学習することによって、通常とは逆に、高コントラストよりも、低コントラストの画像に強く応答する細胞(図B)が増加していることを発見しました(図C)。また、学習後に観察される、低コントラストの画像に強く応答する細胞は、低コントラストの縦縞・横縞を区別して情報表現しており、低コントラストの最適方位(細胞ごとの、縦縞と横縞のうち強く応答する方位)の縞に対する応答は、縞の向きをラットが正しく判別できた時に強くなりました。以上から、学習後には、低コントラストの画像に強く応答する細胞が増えて、その情報表現に貢献することがわかりました。
次に、この細胞の視覚反応性がどのようなメカニズムによって生じるのかを調べました。学習後には、一次視覚野において、いずれのコントラストの画像に対しても興奮が強まりましたが、高コントラストの画像に対しては、同時に抑制も強まることがわかりました。このような興奮と抑制のバランスによって、高コントラストでは細胞が興奮しすぎることはなく、低コントラストでは細胞が十分に活動することができ、強い応答が誘導されると示唆されます。
外界の情報は常に変化していますが、我々の脳はその変化に柔軟に対応して、安定して物を見ることができます。今回の研究成果は、様々な強さの入力に応じる脳の柔軟な情報表現(図D)を新たに提唱するものです。
論文タイトル:
The contribution of low contrast–preferring neurons to information representation in the primary visual cortex after learning.
著者:
Rie Kimura* and Yumiko Yoshimura. (*責任著者)
掲載年:
2021年
雑誌:
Science Advances
号:
Volume 7, Issue 48
DOI:
10.1126/sciadv.abj9976
<図の説明>
- 縞の向きを判別する課題を繰り返し経験させて学習させると、縞のコントラストが低い時に正答率は下がるものの、ラットはその縞を判別することができました。
- 学習後の課題遂行中には、高コントラストよりも、低コントラストの画像で強く応答する細胞が観察されました。
- 学習後の課題遂行中には、学習前に受動的に画像を提示した時に比べ、低コントラストの画像で有意に強く応答する細胞が増加していました。
- 繰り返し見た画像はコントラストが低くなっても、低コントラストで強く応答する細胞が情報表現に貢献することで、知覚することができます。
<研究者の声>
この研究は、2014年に生理学研究所に異動した直後から始め、低コントラストで強く活動する細胞が存在することは、幸運にも早い段階で見つけることができました。そこから、足りないデータや詳細な解析を加えるという地道な研究活動を続けました。気づけば随分と時間が経過してしまいましたが、その間、日本神経科学大会や新学術領域の班会議などで発表する機会を得ることができ、皆様が親身に様々なアドバイスをくださったおかげで研究を深めることができました。深く感謝申し上げます。また、吉村由美子先生や生理学研究所・視覚情報処理研究部門の皆様には、日頃から多くの議論や研究活動のサポートをしていただき、大変感謝しております。
<略歴>
2003年 東京大学薬学部卒業、2008年 東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。博士(薬学)。理化学研究所 研究員、玉川大学 脳科学研究所 礒村研究室 CREST研究員、生理学研究所 視覚情報処理研究部門(吉村研究室)特任助教を経て、2021年4月より現職。