[一般の方へ ] 神経科学トピックス

「視覚的な動き」はまず網膜の神経軸索終末で検出される

Danish Research Institute of Translational Neuroscience - DANDRITE, Department of Biomedicine, Aarhus University
Postdoctoral Researcher
   松本彰弘(Akihiro Matsumoto)
視覚系の感覚器官である網膜には、視野に生じた「動き」の方向を検出して脳へ知らせる機構が存在します。本研究では、網膜双極細胞の軸索終末において、「視覚的な動き」の方向を検出するための神経回路が形成されていることを明らかにしました。
わたしたちが受容する視覚世界は、明暗や色など多様な視覚特徴から構成されています。視覚系の感覚器官である網膜では40タイプ以上の神経節細胞がそれぞれ固有の特徴に選択性をもち、軸索(視神経)を介して情報を脳へと伝送しています。
身体や頭の動きに伴って視野が動くと、網膜には「視覚的な動き(オプティカルフロー)」が生じます(図A)。例えば、前へ歩いているときには前方から後方へと流れるオプティカルフローが生じ、網膜では耳側への動きとして捉えられます。このような視覚的な動きの検出は、網膜に存在する、耳側、鼻側、背側、腹側への動きの方向に選択性をもつ4タイプの神経節細胞(方向選択性神経節細胞)によって行われると考えられてきました。
長年の研究から、神経節細胞の4方向への方向選択性は、方向選択性をもつ介在神経細胞であるスターバースト細胞(図B、桃色)からの空間非対称な抑制性入力により神経節細胞で初めて生じるとされてきました。しかし本研究では、神経節細胞に興奮性シナプスをつくる前細胞である双極細胞(図B、緑色)の軸索終末から2光子グルタミン酸イメージングを行い、動く視覚刺激に対するグルタミン酸放出を可視化・解析したところ、驚いたことに、方向選択性は双極細胞からの出力で既に形成されていることが明らかになりました。さらに個々の双極細胞に4方向それぞれを選好して情報を伝える軸索終末が混在しており、一つの双極細胞が4方向への動きのすべてを検出し、各軸索終末はその選択性に適した方向選択性神経節細胞に特異的に出力していることが分かりました(図C)。
この方向選択性は、ジフテリア毒素を用いてスターバースト細胞を選択的に除去すると消失しました。スターバースト細胞は、抑制性のGABA(γ-アミノ酪酸)と興奮性のアセチルコリンという異なる神経伝達物質を共放出します。放出されたアセチルコリンは双極細胞の軸索終末へ、GABAは抑制性介在神経細胞へと伝達されます(図D)。薬理学的手法と電子顕微鏡解析により、スターバースト細胞はその選好方向への動きに対し、1)アセチルコリンによって双極細胞軸索終末の興奮性を増幅する、2)GABAによって軸索終末への抑制性入力を弱めることで双極細胞の方向選択性を形成することが分かりました(図E)。
双極細胞の細胞体には方向選択性が存在しないため、視覚系において最初に選択性が生じるのは双極細胞の軸索終末であるといえます。本研究の結果は、双極細胞の軸索終末にまず生じた微弱な選択性が、神経節細胞の樹状突起で統合・増幅されるというモデルを示唆します。神経節細胞での選択性は樹状突起で形成されるため、その出力では一つの特徴が符号化されますが、個々の軸索終末で演算が行われる双極細胞では一つの細胞が異なる複数の特徴を符号化することが可能です。このような演算は、時々刻々と変化する外界情報の効率的で頑健な符号化を感覚神経系に可能にすると考えられます。
論文タイトル:
Direction selectivity in retinal bipolar cell axon terminals
著者:
Akihiro Matsumoto, Weaam Agbariah, Stella Solveig Nolte, Rawan Andrawos, Hadara Levi, Shai Sabbah, Keisuke Yonehara
掲載年:
2021
雑誌:
Neuron
号:
Volume 109, Issue 18
<図の説明>
  1. 身体の動きに伴って視野に生じる「視覚的な動き(オプティカルフロー)」の模式図。例えば、マウスが前進するときには真正面の一点から後方への動きの流れが視野に生じる。頭を上に向けたときには背側から腹側への動きが生じる。
  2. 網膜の模式図。外界の光は視細胞によって受容される。双極細胞(緑色)は、視細胞の出力を網膜内層の神経細胞であるスターバースト細胞(桃色)と神経節細胞へ中継する。神経節細胞の出力は視神経を介して脳へと伝送される。実験では双極細胞に分泌されたグルタミン酸の濃度に応じて蛍光を発するタンパク質を発現させた。マウスから摘出した網膜を、視覚刺激呈示装置と組み合わせた2光子顕微鏡下に設置した。
  3. 2光子顕微鏡を用いて双極細胞軸索終末からのグルタミン酸放出を観察した。動きの視覚刺激への反応を解析した結果、動きの方向への選択性は軸索終末ごとに異なっており、方向選択的/非選択的な軸索終末がともに存在した。また、ひとつの双極細胞が耳、背、鼻、腹側の4方向を検知していた。
  4. スターバースト細胞(桃色)は選好方向への動く視覚刺激に対し、双極細胞の軸索終末(緑色)をアセチルコリンを介して興奮させ、抑制性介在神経細胞(青色)をGABAを介して抑制する。非選好方向では、抑制性介在神経細胞は抑制されない。
  5. 選好方向(左)/非選好方向(右)への動く視覚刺激に対する双極細胞の軸索終末での神経活動。双極細胞の細胞体に方向選択性は存在しないが(灰色)、個々の軸索終末が興奮性入力と抑制性入力を方向選択的に受ける結果、軸索終末において方向選択性が形成される(黒色)。
<研究者の声>
本研究の契機は、方向選択性神経節細胞の樹状突起へのグルタミン酸入力に選択性が異なるサブセットを発見したことでした。このことを研究グループの主宰である米原圭祐博士に報告するとすぐに「面白い」と言って頂き、その場での議論で細胞を同定して軸索終末を観察することの重要性にいたりました。幸いにも、米原博士が知人であるXin Duan博士から同定のためのプロモーターに関する情報を得ており、ほどなく遺伝学的に標的することに成功しました。
今回の研究には、軸索終末に形成される選択性という新たな演算モデルをどのように立証し、また従来の研究との関連において位置づけるかという難しさがあり、粘り強い検討が必要でした。この難題に網膜の方向選択性回路の研究を世界的に牽引してきた米原博士とともに取り組むことができたのは良い経験でした。いつでも議論に応じて頂き、丁寧な助言、新たな実験やウイルスの作製、共同研究の調整と様々に支援してくださる米原博士、また議論をしてくださった研究所内外の多くの方々に感謝いたします。
<略歴>
2012年3月 東京大学文学部行動文化学科心理学専修 卒業
2017年3月 東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻 修了 博士(心理学)
2017年4月 立命館大学グローバル・イノベーション研究機構 専門研究員
2017年10月より DANDRITE, Department of Biomedicine, Aarhus University 博士研究員
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