[一般の方へ ] 神経科学トピックス

「用意,ドン」フライングせずに行動を準備する脳内メカニズム

École Polytechnique Fédérale de Lausanne - EPFL
Scientist
田村啓太

適切なタイミングで即座に行動するためには,運動の準備を担う脳領域が活動するだけでなく,早く動いてしまわないように運動の実行を担う脳領域が抑制される必要があることを,行動中のマウスの脳活動の光イメージング,電気記録,光操作で明らかにしました.

私たちは五感を働かせて辺りの様子をうかがい,頭に浮かぶ「手に取りたい」「食べてみたい」といった欲求に従って行動しています.しかし時には,我慢して待つことも必要です.陸上競技では,「位置について,用意」と告げられた後,どんなに早く跳び出したくても,「ドン」という合図までは動いてはいけません.大事な会食では,生ビールが運ばれてきた後,どんなに飲み始めたくても,「乾杯」の合図までは口をつけないでしょう.このように,したい行動を適切なタイミングを待ってから実行する能力は,私たちが動物として,また社会的な存在として生きるうえで不可欠です.
 しかし,「用意,ドン」の「用意」つまり準備を促す情報によって脳内で運動の準備が始まり,「ドン」という合図が来るまで待ってから準備された運動が実行される仕組みはよく分かっていませんでした.そこで我々は,マウスに「用意,ドン」を模した行動課題を学習させてこれを調べました.この課題では,ヒゲに弱い刺激(図A左,↕,「用意」に相当)が加えられた後,しばらくして合図の音(図A右,♬,「ドン」に相当)が鳴り,音の後にすぐノズルを舐めるとノズルから砂糖水がもらえます.一方,合図の音の前にノズルを舐めてしまうと砂糖水はもらえません.つまり,マウスは砂糖水を予見させるヒゲの刺激に気づくとすぐにノズルを舐めたくなりますが,合図の音が鳴るまで我慢して待つことが求められます.この時のマウスの脳活動を光イメージングと電気記録により観察しました.脳には運動の準備を担う領域と実行を担う領域ありますが,解析の結果,ヒゲ刺激の後から合図の音に向けて,運動の準備を担う領域では活動が局所的に増加していたのに対し(図B右,橙色),運動の実行を担う領域では活動が広範に減少していました(図B左,青色).更に,この期間に脳活動の光操作を行い,運動の準備を担う領域を一時的に不活性化すると,マウスは音の合図が来てもノズルを舐められなくなり,逆に,運動の実行を担う領域を活性化すると,マウスはノズルをすぐに舐めてしまい合図の音を待てなくなりました.
 これらの結果は,「用意」という声をきっかけに脳の異なる領域で運動の準備と実行の抑制が並行して行われることによって,「ドン」という正しいタイミングで即座に行動することが可能になることを示しています.今後,この成果をもとに異なる脳領域が互いの活動を抑制したり増やしたりする神経回路を明らかにすることで,ヒトが素早く正確に運動できる仕組みや,衝動を意識的に制御できる仕組みを細胞レベルで解明することにもつながってゆくと期待できます.

Rapid suppression and sustained activation of distinct cortical regions for a delayed sensory-triggered motor response
Vahid Esmaeili=1,†, Keita Tamura=1,† (=1, first-authors; †, corresponding authors), Samuel P. Muscinelli, Alireza Modirshanechi, Marta Boscaglia, Ashley B. Lee, Anastasiia Oryshchuk, Georgios Foustoukos, Yanqi Liu, Sylvain Crochet, Wulfram Gerstner, Carl C.H. Petersen†.
Published: June 1, 2021
Neuron 109, 1–18, July 7, 2021
10.1016/j.neuron.2021.05.005

<図の説明>

(A) 運動を準備し合図を待って実行する行動課題.ヒゲへの刺激(↕)の後,しばらくして合図の音(♬)が鳴る.音の後にノズルを舐めると砂糖水がもらえるが,音より前にノズルを舐めると砂糖水はもらえず,一定の時間,課題の遂行を禁じられる.(B) ヒゲ刺激に気づいた後,ノズルを舐めたいのを我慢して合図の音を待っている時(A,中央のマウス)の大脳皮質の活動.運動を準備する領域では活動の増加(右,オレンジ色)が,運動を実行する領域では活動の抑制(左,青色)が起こっていた.これらの活動の増加と減少は,いずれも課題の正しい遂行に必要であることが分かった.

<研究者の声>

サルの認知機能からネズミの知覚・運動へと,留学して守備範囲を広げてきた中での研究です.育った社会や言語,学んだスクールやステージが皆異なるメンバーと対等な立場で研究をまとめてゆく作業は,船頭多くして船は座礁したり難破しかかったり陸に上がって作り直したり,長い時間がかかりました.しかし,「この意見は相手を怒らせる」,「何も言わないのが一番早い」という考えが頭をよぎった時にも,リスペクトを示しつつ全力で対峙し続けることが最終的に研究を強くすると改めて実感し,ヨーロッパにおける個と多様性を尊重するアプローチを理解できました.

<略歴>

田村啓太(TAMURA Keita) 2006年 京都大学理学部卒業(平野丈夫 研究室),2014年 東京大学大学院医学系研究科・医学博士(宮下保司 研究室),同・助教.2016年より現在までÉcole Polytechnique Fédérale de Lausanne - EPFL・Scientist (Carl Petersen Lab).2018年 European Union・Marie Curie Fellow.2020年,EPFL PhD Program in Neuroscience・Lecturer. 動物の研究から,ヒトの認知機能を非侵襲的に調節する手法の開発につなげたいと考えている.

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