老兵は去りゆかず
日本神経科学学会会長
柚﨑通介
(慶應義塾大学医学部)
マッカーサーが退任の際に行った有名な演説において「老兵は死なず、ただ去りゆくのみ」と述べた。役割を終えた者が表舞台を去ることは一つの美学である。ただしマッカーサーはトルーマンによって解任されたのであり、この言葉の裏にはおそらく悔しさもあるのだろうと想像する。
私が2020 年1 月に日本神経科学学会会長に就任した折に「We are in the same boat」と題した小文を書いた。私たちは、同時代に、極東の島国で、神経科学研究を行っている一つの船の乗組員であること、そして日本神経科学学会の役割は、個々の乗組員が自己の可能性を実現することを助けることによって、船そのものをより遠い目的地まで到達させることにある、といった趣旨であった。任期の終了に当たり、まずこの小文で私が述べたことについて振り返りたい。
今期に私と執行部が目指したことは「船」そのもののオーバーホールであった。その柱の一つは任意団体である日本神経科学学会を、一般社団法人として登記することにあった。法人化は対外的な信用性を向上させるのみでなく、学会運営の公正性・透明性が確保されるために必要である。しかし、私たちが目指したのは、法人化だけではなく、この機会に学会の仕組みや会員制度や理事・会長の選考方法について大きく改革することであった。より多くの専門領域・性別・年代・地域の会員を取り込み、かつより幅広い会員の声を学会運営に反映させることが、本学会の発展のためには必要不可欠である。さらに将来的には公益法人化することによって、公益のための収益事業も行い、財政基盤の強化を図りたいと考えた。Webサイトでの会員アンケートを3 回行い、その結果についても会員に随時feedback することによって、新しい評議員や理事の仕組みを作った。2022 年11 月には新しい理事選挙、2023 年1 月には一般社団法人の基盤となる評議員選挙が初めて行われ、2023 年4 月から本学会は一般社団法人としてスタートする予定である。本改革にこれまで携わっていただいたWorking group や執行部・事務局の方々に深く感謝の意を表したい。
本改革に当たり、会員の皆様からはさまざまなご意見をいただいた。建設的な意見に加えて、一部にはやや一方的な批判の声もあった。科学とは異なり学会の運営方法にはおそらく正解は一つではない。また最初から100%の会員が納得する制度を作ることも難しい。今後も会員の意見を聞きつつ、少しずつ理想の学会体制を作り上げることができればと考えている。一方、昨年の年頭の辞(
https://www.jnss.org/hp_images/files/fix_page/neuroscience-news/2022/2022No1_Feb_229_v2.pdf) に書いたように、学会が会員のために何ができるかばかりを問わず、会員一人ひとりが、日本神経科学学会の発展や、日本の神経科学研究の環境を改善するためにどう貢献できるかも是非考えていただきたい。プロの政治家とは違い、本学会は研究者のボランティア活動によって運営されている。是非、多くの会員の皆様に、評議員や理事あるいは委員会活動を通して学会の運営とその改革に直接に携わっていただければと思う。
就任時の小文では中高生や一般の方々へのアウトリーチ活動や政治・経済界に対するアドボカシー活動の大切さについて強調した。宇宙科学と同じくらいの国民の支援を得るためには、地道なアウトリーチ活動が必須である。コロナ禍のためさまざまな制限を受けたが、さまざまな工夫を行うことによって高校生を対象とした脳科学オリンピックや、一般市民を対象とした市民公開講座「脳科学の達人」を実施できた。関係者に深く感謝したい。後者についてはYouTube で好評を博しており(
https://www.youtube.com/@user-xp1uy1qg4r)、チャンネル登録者数が2.4 万人を超えた。またSNS(主にTwitter)を通じて神経科学に関するアウトリーチ活動をおこなって頂く「ニューロナビゲータ」制度を新設した(
https://www.jnss.org/neuro_navigator)。是非、周囲にYouTube のチャンネル登録やTwitter のフォローを勧めていただきたい。一方、アドボカシー活動については本学会単独ではなく、学会の連合体である生物科学学会連合や脳科学関連学会連合と連携してできる限りの努力は行った。社会的要請に対応した臨床研究や産業界への導出は重要である一方で、幅広い分野の基礎研究に長期的に投資することこそが、新しい発見やハイリターン研究につながることを繰り返し政治家や官僚に伝えていく必要性があると考えている。
3 年間を振り返り、私が就任時に目指したことには一定の進展はあったと考えるが、いずれも道半ばである。特に、新しく導入する評議員や理事制度によって、本当にダイバーシティの確保は進むのか?幅広い会員の声を学会運営に反映させることができるのか?北米神経科学学会(SfN)、ヨーロッパ神経科学連合(FENS)に並ぶ、第三極として日本・中国・韓国等のアジア諸国のハブとして日本神経科学学会は発展できるのか?老兵の問題点は、自分が老いたことに気がつかず、知らない間に組織の邪魔をしてしまい、かつ組織から排除しにくくなってしまうことであろう。一方で、経験や能力の高い老兵をどう扱うかという問題は、超高齢社会となった日本においてアカデミアを含めて大きな課題となっている。アカデミアや企業から定年退職した能力の高い研究者が、海外で拠点を求めて活躍する姿をみると日本として勿体ないことだと思う。特に過渡期にある日本神経科学学会の運営においても、経験者や有識者が一定の人数は必要であろうと考えた。このため、2022 年11 月の理事選挙においては、今回に限り、2 年間の任期で再任不可の「留任理事」として、過去に学会において理事や委員会委員長として活躍された方を中心に候補者になっていただいた。「老兵」というには失礼な候補者も多数含まれているが、老兵は去りゆくのではなく、一定の制限のもとでうまく活用することが重要であると思う。
引き続き、皆様とともに、日本神経科学学会の乗組員として、より高いところを目指して進んでいきたい。
2023年1月