[会員へのお知らせ] 伊藤正男先生を偲んで

伊藤正男先生を偲んで

日本神経科学学会の前身である日本神経科学協会の創設に尽力され、日本神経科学学会の初代会長を務められた伊藤正男先生が平成30年12月18日にご逝去されました。享年90歳でした。
ここに生前の伊藤先生を偲びまして、謹んでお別れの言葉を申し上げたいと思います。

撮影:大西成明

東京大学大学院医学系研究科 神経生理学分野
狩野方伸
 伊藤正男先生が平成30年12月18日にご逝去されました。享年90歳でした。ここに生前の伊藤先生を偲びまして、謹んでお別れの言葉を申し上げたいと思います。
 伊藤先生は1928年12月4日に名古屋でお生まれになり、戦中戦後の混乱の時代を経て、1949年に東京大学医学部に入学され、1953年にご卒業されました。1年間のインターンの後、1954年から熊本大学医学部生理学講座の佐藤昌康先生のもとで、助手として生理学の研究を始められました。1957年に学位論文を発表され、1959年にオーストラリア国立大学のJ.C. Eccles教授の研究室に留学されました。伊藤先生はEccles研究室において、抑制性シナプスのイオン機構に関して数々の重要な論文を発表され、1962年に帰国され、1963年に東京大学医学部生理学講座助教授に就任されました。伊藤先生は小脳の神経回路機能の研究を開始し、間もなく、小脳のプルキンエ細胞が抑制性ニューロンであり、GABAを伝達物質とすることを発見されました。当時は、大型で他の脳部位にまで軸索を伸ばす投射ニューロンは全て興奮性であり、小型の局所介在ニューロンのみが抑制性であると、Eccles教授をはじめとして誰もが信じておりました。伊藤先生の発見は、この“教義”を覆したもので、神経回路の構造と機能に関する新たな概念を打ち立てることになりました。1970年に東京大学医学部生理学講座教授に就任されると、小脳の神経回路の働きを明らかにするための新たな研究を開始されました。その頃、MarrとAlbusによって提唱された小脳運動学習の理論モデルに触発され、小脳片葉が如何にして前庭動眼反射を制御するかを研究されました。やがて伊藤先生は、小脳片葉が前庭動眼反射を適応的に制御することを実験的に証明され、これは、下オリーブ核に発する登上線維によってプルキンエ細胞に“誤差信号”が伝えられ、平行線維からプルキンエ細胞へのシナプスの伝わりやすさが可塑的に変化することを示唆しておりました。現在では、Marr-Albus-伊藤の小脳運動理論として、小脳のはたらきに関する最も有力な説として、広く認められています。この理論は、平行線維からプルキンエ細胞へのシナプス伝達が、登上線維シナプスと同時に起こった後に長期的に変化すること、即ち、“シナプス可塑性”の存在を前提としていました。しかし、1970年代には、そのような小脳のシナプス可塑性の存在を示す実験的証拠はありませんでした。そのような状況で、伊藤先生は粘り強く実験を重ね、1982年についに小脳の長期抑圧(Long-term depression, LTD)を発見されました。この発見がブレークスルーとなり、今日に至るまで、世界中の研究者によって、LTDの分子細胞メカニズムや小脳の運動学習におけるLTDの意義に関する膨大な数の研究が行われています。私は1982年に博士課程大学院生として伊藤先生のご指導を受けることになりましたが、発見されたばかりの小脳LTDの研究に4年間没頭するという大変な幸運に恵まれました。伊藤先生は1989年に定年により東京大学を退官された後、理化学研究所国際フロンティア研究システムにおいて、研究を継続されました。伊藤先生の大変な御尽力により、1997年には理化学研究所脳科学総合研究センターが設立されましたが、伊藤先生はその初代のセンター長に就任されました。この間、伊藤先生は小脳LTDの分子機構とその機能的意義について、精力的に研究を進められました。また、小脳による運動制御に関する内部モデル仮説を提唱されました。さらに伊藤先生は、小脳を含む内部モデルが思考や認知機能の制御にも関与し、高次脳機能の発現に重要であることを提唱されました。
 このような神経科学の金字塔というべき研究業績をあげられるだけでなく、伊藤先生は我が国と世界の神経科学の発展に多大な貢献をされました。日本神経科学協会(現日本神経科学学会)の設立、日本神経科学協会公式英文学術雑誌であるNeuroscience Research誌の創刊、理化学研究所脳科学総合研究センターやブレインサイエンス振興財団の設立など、枚挙にいとまがありません。さらに、国際脳研究機構の会長を長らく務められ、アジアオセアニア生理学協会及びアジアオセアニア神経科学協会の設立に尽力され、それぞれの初代会長を務められ、国際的にも神経科学の発展に多大な功績を残されました。加えて、国際ヒューマンフロンティアサイエンスプログラム機構の設立に尽力され、その後同機構会長として、日本発の世界のサイエンスへの貢献にも大きな指導力を発揮されました。
伊藤先生は、これらの卓越した研究業績と科学界への貢献に対して、日本学士院賞・恩賜賞、Robert Dow Neuroscience Award、日本国際賞、文化勲章、レジオン・ドヌール勲章シュバリエ、グルーバー賞神経科学部門など、国内外の数多くの受賞・栄典を受けておられます。また、日本学士院会員をはじめ、英国王立協会外国人会員、米国科学アカデミー外国人会員など、各国科学アカデミーの会員に選ばれております。
 伊藤先生は研究面では大変厳しく、不可能と思われた課題にも繰り返し粘り強く取り組んで解決して来られました。一方で、学生や若手研究者の発想と自主性を最大限に尊重してくださいました。伊藤先生の門下生や共同研究者の中から、現在の我が国の神経科学研究を牽引する多くの先生方が生まれています。伊藤先生が創設された日本神経科学協会は会員数5500名を超える日本神経科学学会へと成長し、毎年の大会は3500名ほどの参加者を集めており、その学問的レベルから見ても、北米神経科学大会やヨーロッパ神経科学学会連合大会に匹敵する国際大会と評価されています。私どもは、日本神経科学学会を基盤として、神経科学を益々発展させていくことが、伊藤先生のご恩に報いることと信じております。伊藤正男先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
平成31年4月26日
(神経科学ニュース2019年No.3(7月号)より転載 )

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