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海馬において空間および文脈記憶を司る二つの記憶痕跡の形成および
作用機序の解明

沖縄科学技術大学院大学 記憶研究ユニット
田中 和正

この度は日本神経科学学会奨励賞を頂き、大変光栄に思います。選考してくださった先生方に大変感謝するとともに、刺激的で面白い研究ができるよう今後も力を尽くしたいと思います。 私が神経科学の世界に飛び込んだのは大学院に進学する時でした。当時から記憶に特に興味を持っていて、独立したばかりだったBrian Wiltgenの研究室でTetTagマウス(c-Fos-tTAマウス)と光遺伝学を使った研究に取り組みました。遺伝的に標識した神経細胞群の活動操作を通して、一つ一つの記憶がネットワーク全体にコードされているのか、それとも神経細胞のプールの中から選ばれた一部の神経細胞群によって担われているのかを検証する仕事です。当時技術的には可能かもしれないところまできていて、非常にホットな研究テーマでした。特に、チャネルロドプシンを使って神経細胞の活動を強制的に誘導し、記憶の想起を誘導できるのではないかという実験アイデアは記憶研究者にとっては大きな議論の的でした。私は無理だと思っていました。光遺伝学による神経活動のコントロールの仕方が生理学的にあまりにも不自然だからです。ですので、2012年に利根川進先生の研究グループがこの手法による記憶想起の誘導成功を報告した時は本当にびっくりしました(Liu et al., 2012)。当時の私の研究テーマは、同様の手法で海馬から皮質への記憶固定の速度を制御できないか試験し、その検証を通して固定プロセスについての神経回路レベルでの知見を得ることを目的としていました。しかし、利根川先生らの研究にまだ懐疑的だった私は、標識した神経細胞群の活動を抑えることで記憶想起を抑制できるか検証し、確かにできることを確認しました(Tanaka et al., 2014)。これらの研究では標識した神経細胞群は記憶エングラムと呼ばれ、記憶の物理的痕跡を内包していると考えられています。

Ph.D.取得後も私はまだ納得できずにいました。神経活動を抑制するのはともかく、なぜあのように不自然な方法で活動させてもなお記憶想起を誘導することができるのか、場所細胞の研究をはじめとする多くの海馬生理学の知見からはうまく説明できないことにモヤモヤを募らせていました。そこで海馬生理学の大家である理化学研究所のThomas McHughの研究室でポスドクをすることにしました。Tomも同じ疑問にモヤモヤしていて、私の研究を快くサポートしてくれました。実際に記憶エングラムの活動を記録してみてわかったのは、それらが場所細胞の一部であるということでした(Tanaka* et al., 2018)。しかし、海馬の記憶素子としての期待とは逆に、記憶エングラムの場所受容野は不安定で、マウスが再度同じ環境を訪れると再配置されていました。これでは記憶エングラムが空間記憶の物理的痕跡を宿しているとは考えづらいです。ところが面白いことに、場所受容野が不安定な一方で、記憶エングラムの平均的な活動量は、記銘した文脈を探索していた時のそれと強く相関していました。これは、記憶エングラムは空間記憶の記憶素子ではなく、活動量を通して文脈のアイデンティティを表現している細胞群であることを示唆しています。そう考えると不自然な光遺伝学的な操作で文脈記憶の想起誘導に成功したことにも少しは納得できます。

さて、大学院生時代から募らせていたモヤモヤを少しは解消することができましたが、この研究によってまた新しい不思議と謎がたくさん出てきてしまいました。また、記憶の研究を志した時から興味を持っている研究テーマも実は手つかずのままです。幸い、今年の春から沖縄科学技術大学院大学(OIST)で研究室を主宰する機会を頂くことができました。今後は研究室のみんなで記憶の謎に挑戦していきたいと思います。
最後になりましたが、大学院時代の指導教官であるBrian、ポスドク時代のボスであるTom、大学院や理研の同僚のみんなには研究だけでなく私生活でも本当にお世話になりました。そして、先輩研究者としていつも私を導いてくれる妻と、親としての喜びを与えてくれる子供達にもとても感謝しています。今後は、次世代の研究者を支える立場としての責務も全うしていきたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。

受賞研究内容を議論する総説(Neuroscience Research掲載)
Tanaka, K.Z., 2021. Heterogeneous representations in the hippocampus. Neurosci. Res. 165, 1-5

略歴
2015: Ph.D., University of California, Davis, Psychology Department, Brian Wiltgen lab
2015-2016: RIKEN Brain Science Institute (BSI), post-doctoral scholar, Thomas McHugh lab
2016-2019: RIKEN BSI/Center for Brain Science (CBS), special post-doctoral scholar, Thomas McHugh lab
2019: RIKEN CBS, JSPS SPD researcher, assistant professor (adjunct) in OIST, Thomas McHugh lab
2020-: OIST, assistant professor, Memory Research Unit (Kazu Unit)

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