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分子1個1個のふるまいから脳細胞の自己組織化機構を読み解く

理化学研究所 脳科学総合研究センター
発生神経生物
坂内 博子

 この度は平成25年度日本神経科学学会奨励賞を賜り,誠にありがとうございました.この名誉ある賞を頂くことを身に余る光栄と思いますとともに,その使命の大きさと重さに身の引き締まる思いが致します.お忙しい中貴重な時間を割いて審査をしていただいた先生方に,心から感謝申し上げます.

 膨大な情報処理を行う脳は,よくコンピュータに例えられます.しかし,出荷されてからずっと同じ部品で働くコンピュータに対し,脳の部品,すなわち神経細胞やグリア細胞を構成する脂質やタンパク質は一生を通じて常に入れ替わっているという点で,脳とコンピュータは大きく異なります.常に部品が入れ替わっているなかで,どのように脳という構造が保たれ,記憶・学習・思考といった高次の機能を果たすことができるのか?その根底に潜む物理法則や分子機構を明らかにすることが,私の研究の目的です.

 最も疑問に思ったのは,シナプス後膜の構造です.神経伝達物質受容体分子自体はダイナミックに拡散運動をしているにも関わらず,シナプス後膜には受容体が高密度で局在しています.流体としての性質を持つ細胞膜の上で,受容体が均一に分布するのではなくシナプス後膜に密集しているということは,神経細胞が何らかの自己組織化機構を発達させていることを意味しています.この自己組織化機構を解明するために,私は,「受容体のシナプス内外でのふるまいを1分子レベルで追跡する」という方針で取り組んできました.
 
 日本では20年以上も前から生物物理学的発想に基づく数々の優れた1分子イメージング研究が行われていましたが,当時の1分子イメージング技術ではシナプスに出入りする受容体の運動を長時間追跡することは不可能でした.そのとき,フランス・パリ高等師範学校のAntoine Triller教授の研究グループが,ナノクリスタル半導体「量子ドット」をプローブに用いることにより,長時間の1分子イメージングを可能にしたことを知りました.そこで私は,Triller研究室の門を叩きました.Triller教授は,研究室で培われた1分子イメージング法のノウハウ全てを見せて下さり,それを改良する機会も与えてくださいました.
 帰国後,理化学研究所・脳科学総合研究センター・発生神経生物研究チームにおいては,御子柴克彦チームリーダーのご指導のもとTriller研究室での研究を発展させて,抑制性GABA作動性シナプス可塑性の成立過程に「細胞膜上での分子1個1個の動き」という物理現象が関わっていることを示すことができました.1分子のふるまいを直接見るという方法は,「代謝型グルタミン酸受容体に特異的な拡散障壁」というアストロサイト細胞膜のユニークな自己組織化戦略の存在の発見に貢献しました.

 これまでの研究により,シナプス伝達効率の調節や脳神経疾患の発症に,細胞膜上の分子のふるまいが関与している可能性が示されました.しかし,組織・個体レベルでこの仮説を実証することは今後の課題です.受容体の側方拡散を組織・個体内で人為的にあやつり,細胞の自己組織化機構を操作することにより,「膜分子のふるまいがシナプス伝達の制御や脳神経疾患に本当に関与しているのか」という疑問に答えたいと考えています.

  最後になりましたが,今回受賞対象となった研究をともに進めて来た理化学研究所の有薗美沙博士と丹羽史尋博士,常に大きな気持ちで暖かくサポートして下さるAntoine Triller教授,そして研究者として人間として数えきれないほど多くのことを教えて下さる御子柴克彦チームリーダーに,この場を借りて厚く御礼申し上げます.また,私の研究生活を支えてくれる共同研究者の方々,家族にも感謝しております.会員の皆様には,今後ともご指導,ご鞭撻よろしくお願い申し上げます.

写真の説明 「理化学研究所 脳科学総合研究センター 発生神経生物研究チームにおいて,本研究課題を共にすすめてきた方々.前列中央が御子柴克彦チームリーダー,右が有薗美沙博士.後列中央が丹羽史尋博士.筆者は前列左.」

受賞研究内容を議論する総説(Neuroscience Research掲載)
Bannai, H., 2017. Molecular membrane dynamics: Insights into synaptic function and neuropathological disease. Neruosci. Res. 129, 47-56

【略歴】
1995年 東京大学理学部生物学科 動物学教室卒業
1997年 東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 修士課程修了
2000年 東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 博士課程修了
2000年 理化学研究所 脳科学総合研究センター 発生神経生物研究チーム 研究員
2005年 パリ高等師範学校 博士研究員
2006年 同 日本学術振興会 特別研究員PD
2007年 理化学研究所 脳科学総合研究センター 発生神経生物研究チーム 基礎科学特別研究員
2010年 同 研究員
2012年 同 日本学術振興会 特別研究員RPD
2013年 名古屋大学大学院 理学研究科 生命理学専攻 特任講師

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