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2020年度時実利彦記念賞受賞者 尾崎 紀夫 先生

2020年度、日本神経科学学会時実賞受賞者の言葉

尾崎 紀夫
国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学 大学院医学系研究科
精神医学・親と子どもの心療学分野 教授

 この度、2020年度時実利彦記念賞を頂き、選考委員ならびに神経科学学会の皆様に、心から御礼を申し上げます。
 現在、COVID-19感染が社会全体に及ぼす影響が甚大で、特に医療現場は混沌としております。その様な中、受賞の喜びを語ることに私自身、戸惑いがあります。しかし精神科医としては初めての受賞者であること、何より受賞対象課題、「ゲノム変異を起点とした精神疾患の病態解明と病態に基づく根本的治療薬開発」が目指す、「病態解明と根本的治療薬開発」は当事者・ご家族の強い願いである点を踏まえ、これを機会に一層の精進をと考えております。
 さて、自己紹介を兼ねて前述の受賞対象課題に至る経緯をお伝えしたいと思います。私は元来、人の心の有り様に関心を持ち、フロイトの精神分析的な考え方、例えば養育体験によって生じる無意識への興味から、「フロイトの様な精神科医」を目指し、医学部に進みました。名古屋大学の選択も、当時の笠原嘉精神医学教授の心理的側面に関する著書(「精神科医のノート」など)を拝読したのが一因でした。ところが生化学や解剖など医学部の講義は、「心の有り様」の理解とはほど遠く感じられ、学業に身が入らず、ラグビー部生活が主になっておりました。待ちに待った精神医学の講義も、脳の局在論から始まり、精神分析的概念は取り上げられてもごく僅かで(しかも、精神分析に対してポジティブではないニュアンスも有り)、大変がっかりしたものです。一方で当時、笠原教授は脳を含む身体という生物学的な基盤のもと、心理社会的な要素を加味して、当事者を捉えるべき、という立場を取っておられ、その後この考え方を、私は臨床、教育、更には研究でも踏襲して、今に至っております。
 1982年医学部卒業後、2年間の各科ローテート初期研修を実施いたしました。研修先の選択に際しても、精神科部長が精神分析的精神療法を専門とする成田善弘先生であった社会保険中京病院を選びましたが、「精神科医になるための初期研修は如何すれば良いか」と成田先生に質問したところ、「精神科以外をしっかり研修して、精神科はローテートしなくとも良い」とのアドバイスを頂きました。その結果、脳神経内科4ヶ月間を含め内科を1年半、外科は脳神経外科だけ2ヶ月、研修したことが、現在の「疾患横断的な研究」にも繫がっているのではないでしょうか。
 初期研修には3ヶ月間の麻酔科・ICU研修が含まれていましたが、ICUの主は、先天性心疾患と腎臓移植の術後患者でした。先天性心疾患は神経発達症を併存していることが多く、後に22q11.2欠失症候群等の研究に繫がる機会でもあったと思います。また腎臓移植患者の精神医学的問題が、私の最初の研究テーマになりましたが、免疫抑制剤が開発途上であった当時、副腎皮質ホルモンが今より多く使われていました。副腎皮質ホルモンにより移植術後患者の精神状態が変化することを目の当たりにして、物質が脳を介して心に影響を与えることを実感するに至りました。
 1984年精神科専門研修のため名古屋大学に戻り、精神科医療の現場を経験したのですが、統合失調症の解体した(意味を推し量ることが困難な)言動に触れ、「精神分析的なアプローチでは病態の理解は困難」と感じる様になりました。前述の移植術後患者での実感とも相まって、「物質が脳を介して心に影響を与える」観点から精神疾患研究をしてみたいと考えておりました。
 その様な折り名古屋大学に、精神科から神経生化学に転じておられた永津俊治先生が、生化学教授として着任されました。その縁で、永津教授のもと神経生化学的なアプローチで病態研究をさせて頂くことになりました。永津教授から「統合失調症研究は困難だから、MPTPによるパーキンソン病モデルを対象にして、マイクロダイアリシス法等を用いた神経生化学的研究を実施するように」とのご示唆を頂きました。当時、マイクロダイアリシス法の黎明期で、マイクロダイアリシスプローブも手作りで試行錯誤を繰り返していましたが、この手作りによる技術開発の醍醐味を知ることが出来たのは何よりでした。
 当時の永津研には、その後も共同研究を続けることになる多くの基礎研究者、例えば現福島県立医科大学小林和人教授、東京工業大学一ノ瀬宏教授、名古屋大学澤田誠教授といった方々がおられ、神経生化学的な考え方や手法を教えて頂き、大変刺激を受けました。また脳内自己刺激行動時の脳内局所トランスミッターの変化を捉える、即ち報酬系の神経化学的研究を、基礎心理学を専門とされていた元浜松医科大学中原大一郎教授との共同で行いました。この永津研の時代に、基礎研究者の方々と共同することの重要性・必要性を実感して、今に至っております。
 その後、1990年、米国National Institute of Mental Healthでの研究活動を開始して、今に至る精神疾患のゲノム解析研究を始めるなど、多くのことを学ぶことが出来ました。何よりの学びは、1.臨床研究は倫理審査委員会の審査を受け、承認事項に則り進める、2. 臨床研究の成果は、研究協力して頂いた当事者・ご家族をはじめ一般の方々に説明する機会を持つ、という二点でした。
 我が国の精神医学臨床研究は、1970年前後から全国に広まった大学紛争において、研究倫理の問題や研究の閉鎖性に関する批判を受け、沈滞した状態が続いていました。一方米国では、研究倫理制度が整い、各研究課題について研究の科学的妥当性、当事者への説明と同意や個人情報の保護のあり方、等が一般人や法倫理の専門家をまじえた審査委員会で討議されること、研究成果のアウトリーチを為すことで、精神疾患の臨床研究が進められていることに感服しました。
 1995年、現藤田医科大学に着任して以来、今に至るまで、一貫して精神疾患の病態解明研究を続けて参りました。昨年度から精神疾患患者・家族を対象に「精神医学研究に何を望むか」を調査しておりますが、「病気の解決を望んでおり、病気が完治することに繫がる研究を」との希望が最多(約8割)であることを知り、この切実な願いに応えるべく、研究への気持ちを新たにしております。
 最後になりますが、今回の受賞課題の方向性について説明させて頂きます。これまで同様、精神疾患横断的なゲノム解析を継続し、発症関連変異とin silico解析による病態関連分子ネットワークの同定を進めます。同時にゲノム変異の疾患横断的な発症への関与についてもさらに明らかにするため、頻度が稀だが発症に強く関与する同一変異(22q11.2欠失など)をもつ患者コホート研究を行い、経時的な表現型の変化を明らかにしたいと考えております。さらに、病態解明研究では、精神疾患の発症に強い影響を及ぼすゲノム変異(22q11.2欠失、3q29欠失、MeCP2変異など)に基づくモデル生物を用いて検討を進める予定です。具体的には、患者iPS細胞から分化誘導したモデル細胞あるいはオルガノイド、患者ゲノム変異を模したモデルマウス・ニホンザル、患者死後脳、患者脳画像、臨床表現型を用いて、精神疾患に関連した分子・細胞レベル・神経回路の異常を見出し、精神疾患の病態解明から病態に基づく診断・治療・予防法の開発を目指します(図)。
 多様な研究手法により然るべき成果を上げるには、これまで以上に、多様な基礎研究者の方々、臨床研究者の方々のご協力を必要としております。当事者・ご家族の願いを適えるため、何卒よろしくお願い申し上げます。


尾崎 紀夫(国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学 大学院医学系研究科)

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