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「平成30年度 時実利彦記念賞受賞者 小松 英彦 先生」

「質感知覚の神経機構を探る」

小松 英彦 玉川大学脳科学研究所

 この度、平成30年度時実利彦記念賞を受賞し大変光栄に存じます。選考委員ならびに神経科学学会の皆様に厚く御礼を申し上げます。時実利彦先生は私は直接存じ上げませんが、学生時代に最初に出会った脳の本が時実先生の書かれた「脳の話」(岩波新書)であり、私の脳科学での恩師にあたる久保田競先生の先生にあたる方です。そのようなご縁のある方の名前を冠した由緒ある賞をいただくことに特別な思いを感じます。
今回受賞の対象となった研究は「質感」に関する研究です。私は主に物を見る機能、つまり視覚が脳のどのような働きで実現しているのかを研究してきました。なかでも物体表面の属性が脳の中でどのように処理され表現されているかという問題に興味を持ち、色や面の充填などについての研究を行ってきました。しかし今から15年位前から、さまざまな変化に富んだ物体表面の見えを生み出す質感についてほとんど何も分かっていないことに気が付き、自分で調べてみたいと思うようになりました。物体に固有な質感は、素材や表面反射特性および物体表面の微細な凸凹などによって生み出されます。これらの情報は、物体の見えに重要な影響を与え物体認識の重要な手がかりを与えます。また物体を見て表面がざらざらかつるつるかといった異種感覚的な判断をしたり、新鮮で美味しそうか古くてまずそうかといった価値判断をすることも質感の機能に含まれます。しかし物体形状、表面反射特性、照明環境という三つの要因が関わる複雑で高次元の情報であることから脳科学的研究はほとんど行われていませんでした。しかし、ちょうど私がこの問題に関心を持ち始めた少し前から、コンピュータビジョンの専門家が測定したさまざまな素材の反射特性のデータや自然環境のもつ複雑な照明環境のデータにネットを通して誰でもアクセスできるようになり、またリアルなコンピュータグラフィクス(CG)を普通のPCでも作れる環境が整ってきていました。それらを利用することで、さまざまな光沢をもつ物体の画像をパラメータを正確にコントロールして作ることが可能になり、それらの画像を刺激として用いてニューロンの応答を調べ光沢を見分けるニューロンを見つけることができました(J Neurosci 2012, 2014)(図1)。またさまざまな素材でできた同じ形の物体画像をCGで作り、機能的MRIで測定したヒトやマカクザルの脳活動が、素材画像の持つどのような情報を表現しているのかを明らかにすることができました(NeuroImage 2011; J Neurosci 2014)。興味深いことに、高次視覚野では硬い-柔らかいといった触覚的な印象も表現されていました。物を見て触る経験が視覚野の触覚質感の表現を形作ることに関係するのではないかと考え、金属、ガラス、石、革、毛などさまざまな実物素材を見て触る経験の前後でサルの脳活動を比較することで、この予想を実証することができました(Curr Biol 2016)(図2)。形や大きさが統制されたさまざまな素材の実物を集めるのは結構大変でしたが、岡崎近辺のアーティストや工芸作家の方たちに協力していただくことで集めることができました。素材の多くは固有のテクスチャを持ちます。例えば布は織構造を持ち、木材は木目構造、動物の革は細かい皺(革シボ)構造を持ちます。このような自然テクスチャは特定の画像統計量で表すことができることが画像工学の研究から分かっています。画像統計量を組み合わせて作った多数の刺激を使った実験から、テクスチャを見分ける視覚野のニューロンの活動は、それらの画像統計量で説明できることも分かってきました(PNAS 2015; Cer Cor 2017)。これらの研究は研究室のメンバーをはじめ多くの共同研究者と協力して行ったものです。それらの共同研究者の方々に感謝の意を表します。
 質感認知には四つの要因がかかわっています。一つは世界で起きている物理現象です。二つ目はそれによって作り出される感覚特徴です。三番目は脳での処理で、最後がそれらの結果生み出される質感の知覚です。私自身はこのうち三番目が専門ですが、これら四つの要因の関係を絶えず考えていなければ質感の研究はできません。そのため質感に関わる物理現象の解析やモデル化を専門とする工学の研究者、感覚特徴と知覚の関係の解析を専門とする心理物理研究者の方たちと頻繁に議論を重ねることで研究を進めることができました。これらの方々にも御礼申し上げたいと思います。 私たちの身の回りに存在する光と空気と水、木々や草花、生き物たち、石や土、そして人類が作ってきたさまざまな加工物や人工物など私たちを取り囲むすべてのものが固有の質感を持っています。そのような豊かな情報との触れ合いが無ければ、日々の生活は何ともつまらないものになることでしょう。環境を形作るすべての事物が固有の質感を持っていて、それに関わる物理現象や感覚特徴は様々なので、質感研究に終わりはありません。このような研究を通して、さまざまな事物で満ち溢れた世界が持つ豊かさの源泉に少しでも迫りたいと願っています。

略歴
1976年静岡大学理学部物理学科卒
1982年大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了
1982年弘前大学医学部助手
1985年米国NIH研究員
1988年電子技術総合研究所主任研究官
1995年生理学研究所教授、総合研究大学院大学生命科学研究科教授(併任)
2017年玉川大学脳科学研究所所長、現在に至る
 


 

[参考文献]
「質感の科学」小松英彦編 朝倉書店(2016)
「特集:質感脳情報学への展望」生体の科学 63:254-324 (2012)
「特集:脳と「質感」」Brain AND Nerve 67:663-722 (2015)
質感・情報・脳 http://www.shitsukan.jp/tsudoi/lib/index.html

 

図1
マカクザル下側頭皮質で見いだされた光沢選択性ニューロン。A:記録された部位。上側頭溝の下壁皮質の限局した領域で見いだされた。B:一つの光沢選択性ニューロンの9個の刺激に対する反応例。鋭い光沢をもつ刺激(上段)に強く応答し、鈍い光沢の刺激(中段)や、つやの無い刺激(下段)には反応していない。C:光沢選択性ニューロンが集団としてどのように異なる光沢を表現していたかを、MDSを用いて2次元に可視化した結果。異なる種類の光沢が系統的に表現されている様子が分かる。
 

図2
さまざまな素材の実物体の視触覚経験が素材の脳内表現に及ぼす影響。A:9種類の素材(金属、ガラス、セラミック、石、樹皮、木、皮革、布、毛)でできた円柱状の物体を見て触る課題をマカクザルに2カ月間行わせ、その前後にサルが素材の写真を見た時の脳活動をfMRIで計測して、比較を行った。B:fMRIで同定されたいくつかの視覚野を色分けして示す。視触覚経験によって活動が変化した下側頭皮質後部は赤色の部分。C:下側頭皮質後部の活動の素材による変化は、視触覚経験前にはヒトで調べた素材の印象(外観・手触り)との相関は低かったが、経験後には高くなった。このような変化は視覚野の他の部位では見られなかった。
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