2024年度 日本神経科学学会奨励賞受賞者 稲田 健吾 先生
親性養育行動発現とそれに伴う神経回路変化の解析
理化学研究所生命機能科学研究センター
稲田 健吾
この度はこのような名誉ある賞をいただき、大変光栄に感じております。選考委員の先生方,並びに日本神経科学学会の関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。
多くの研究者が脳神経系の謎に魅了されています。その1人である私は、回路レベルでの脳内情報処理様式の解明に挑んでいます。2017年、ショウジョウバエの嗅覚情報処理に関する研究で博士号を取得できるメドがたった頃、私は脳が同じ感覚入力に対しても、その時々の状況に合わせて異なる行動を生み出すことに興味を抱いていました。例えば多くの動物種で、交尾未経験の雄や雌は、(他者の)子供に対して親和的ではありません。しかし親になった個体は、我が子に対し積極的に養育(子育て)行動を行いますし、種によっては他者の子にも養育行動を見せます。つまり自分の状態によって、目の前の子供に対する行動がガラリと変わるのです。このような大きな行動変化は、どのようなメカニズムで生み出されているのか。私は漠然と、神経細胞同士の接続パターンが変わるからではないかと考えていました。この仮説を検証するには、神経細胞の接続関係を解析する手技を身に着ける必要があります。ちょうど、たまたまその分野の専門家である宮道和成先生が理研でラボを立ち上げると聞きつけ、立ち上げメンバーとして加わりました。
宮道先生の研究室では、雄マウスをモデルとして、さっそく上述の親になる際の子供への行動変化を生み出す神経メカニズムの解明に挑みました。注目したのは、脳視床下部の室傍核という領域にある、オキシトシン神経細胞です。オキシトシン神経細胞は、雌のげっ歯類において養育行動を促進する効果があることが知られています。そこでまずは、オキシトシンの分泌が、雄マウスの養育行動を引き起こすために重要であることを示しました。オキシトシン神経細胞の活性化が雄の養育行動を引き起こすのであれば、交尾からパートナーの出産に至るまでの過程において、オキシトシン神経細胞が活性化しやすくなるような神経回路変化が起きている可能性があります。この仮説を検証するため、我々は2つの独立した手法を用いました。1つ目は、宮道先生が専門とする改変型狂犬病ウイルスを用いた手法です。この手法を用いると、オキシトシン神経細胞に入力を送る、シナプス前細胞を網羅的に可視化することができます。その解析を通して、外側視床下部(LHA)からの興奮性入力が、父親マウスでは交尾未経験の雄と比べて強くなっていることを見つけました。次にこの神経入力の増加が、神経伝達強度の増加も伴っているのか、今度は私が専門とする電気生理学的手法と光遺伝学を組み合わせた2つ目の手法で調べました。その結果、父親マウスのLHA興奮性神経細胞から、室傍核オキシトシン神経細胞への入力は、交尾未経験の雄マウスと比べて有意に強くなっていることを確認しました。これらの結果は、マウスが親になる過程で、脳神経回路に構造的な変化が生じていることを示しています。
私はかつて、工学系の領域から神経科学の世界に入りました。工学系で扱うマシンやコンピュータプログラムは、指示通り、高速かつ正確に動作します。しかし逆に、指示されていないことには対応できないという欠点を持っています。一方我々の脳は、非常に柔軟な情報処理を行うことで、日常のあらゆる事態に対応しています。近年ディープラーニングなど、脳の情報処理様式に関する知見を応用した技術が、社会に大きな変革をもたらしています。しかし脳の計算原理には、まだまだ誰も見つけていない何かがあるのではないかと思っています。プリント基板では実現できない、神経配線の柔軟な変化という現象もその1つです。今後も脳の情報処理様式の解明に幅広く迫っていきたいと考えています。
最後に、茨城県の片田舎から、何も知らずにのこのこ出てきた私が、なんとかここまで至ることができたのは、能瀬聡直先生(修士課程)、風間北斗先生(博士課程)、そして宮道和成先生(現所属長)という3人の素晴らしいメンターに本気で鍛えて頂くことができたからです。この場を借りて厚く御礼を申し上げます。また共著者の皆様のご支援にも感謝いたします。そして私の研究生活を支えてくれている妻と、日々奇想天外な発想を見せつけてくれる子供たちにも、心から感謝します。今後も「ただひたむきに、全力で」を旗印に精進いたしますので、これからも日本神経科学学会会員の皆様に見守っていただければと思います。
受賞研究内容に関する総説(Neuroscience Research掲載)
Inada. K., 2024. Neurobiological mechanisms underlying oxytocin-mediated parental behavior in rodents. Neurosci. Res. In Press
略歴
2012年 |
NEC中央研究所(研究員)退職 |
2017年 |
東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻生命環境科学系博士課程単位取得済退学。同年、博士(学術)取得。 |
2018年 |
理化学研究所生命機能科学研究センター入所(研究員)。現在に至る。 |