第32回塚原仲晃記念賞受賞者 内田 直滋先生
「意思決定、報酬による学習の神経回路メカニズム」
ハーバード大学、分子細胞生物学部、脳科学研究所 内田直滋
塚原仲晃先生は私にとって非常に特別な存在です。シナプス可塑性、学習のメカニズムで輝かしい業績を残されただけでなく、数々の神経科学者を排出されています。ポスドク時代にご指導いただいた森憲作先生、私がシステム神経科学に足を踏み入れるきっかけを与えてくださった田中啓治先生らは、塚原研の卒業生です。今回塚原賞を頂けたことを大変光栄に思っています。
脳の重要な機能のひとつは、 その時の状況や、これまでの経験、記憶に応じて、適切な行動を選択することです。知覚と運動の間に存在する、この「意思決定」の研究は、2000年代になって急速に進むようになりました。その原動力となったのが、 課題遂行中のサルから単一ニューロンの活動を記録する実験です。このような研究から、意思決定に関与すると思われるニューロンの活動が様々な脳の領域で発見されるのを目の当たりにするのはとても刺激的でした。一方で、意思決定と相関するこれらのニューロンが本当に重要なのか、あるいはどのようなメカニズムで機能するのかという問題をサルで研究するのはその時点では限界があるように思えました。
わたしは、意思決定のメカニズムを深く研究するには、 分子生物学的、遺伝学的手法が適用しやすく、学際的研究が可能なラットやマウスのような齧歯類動物を用いることが有用なのではないかと考えました。しかし、齧歯類を使って意思決定を研究するという考えに対して、多くの研究者は懐疑的で、私はまず実験系を確立することから始めました。匂い感覚情報に基づいた意思決定の系を立ち上げ、心理物理学的行動実験を行うとともに、脳の中で匂いの感覚情報がどのように変換されているかの研究を行いました。また、この実験系を用いて、意思決定の「確信度 (confidence)」、さらに行動の「価値」に関係するニューロンの研究を行いました。これらの研究は、それまで難しいと思われていた齧歯類を用いた意思決定研究を可能性にし、同様の実験系がシステム神経科学の研究で広く用いられるきっかけとなりました。
試行錯誤に基づく学習には、中脳の腹側被蓋野(VTA)や黒質緻密部(SNc)のドーパミン作動性ニューロンが重要な役割を果たしていると考えられています。ドーパミンニューロンは、実際に得られた報酬と、予測された報酬の誤差(予測誤差、prediction error)を計算し、信号していると考えられていますが、報酬予測誤差の計算のメカニズム、また、本当に全てのドーパミンニューロンが報酬予測誤差を信号しているのかは分かっていませんでした。これらの問題を解明するために、マウスを用いた実験系を確立しました。光遺伝学と、電気生理学的に神経活動を記録する方法を組み合わせ、記録されたニューロンの種類を同定する方法を確立しました。この方法を用いて、腹側被蓋野のドーパミンニューロンや近傍のGABA作動性ニューロンの活動を調べた結果、GABA作動性ニューロンが報酬予測誤差の計算に必要な「期待された報酬」の情報をドーパミンニューロンに伝達していることがわかりました。また、腹側被蓋野で同定されたドーパミンニューロンはほぼすべてが報酬誤差を伝達していることを示しました。また、狂犬病ウイルスを用いたトランスシナプス標識法を用いて、ドーパミンニューロンの直接入力を同定しました。次に、この方法と電気生理学的記録法を組み合わせ、直接入力細胞の活動を記録しました。その結果、直接入力細胞の段階で、すでに報酬予測誤差の計算に必要な幾つかの情報が複雑に組み合わされていること、報酬予測誤差の計算が、脳の広い領域に分散されていることが分かりました。 一方、 最近の研究により、ドーパミンニューロンの投射先によって、送られている信号が異なることを明らかにしました。腹側被蓋野から線条体の一部(側坐核)に投射するドーパミンニューロンは報酬予測誤差を伝達しますが、それ以外に新規性や脅威的刺激に反応するドーパミンニューロンが黒質緻密部の一部に存在し、そのようなドーパミンニューロンは、後部線条体に投射していることを示しました。今後は、ドーパミンニューロンの投射先に応じて、反応性、機能、出力計算のメカニズムを明らかにし、意思決定、経験に基づいた学習のメカニズムの研究をさらに進めていきたいと考えています。
これまで研究を進めてこられたのは多くの方々のご指導、支えがあってのことです。竹市雅俊先生には、独自の研究を進めるスタイル、データの観察から新しい考えを導くことの大切さ、楽しさを教えていただきました。ポスドク時代に新しいことを探求することができたのは、森憲作先生、谷藤学先生、Zachary F. Mainen先生のご指導のおかげです。ハーバード大学で自分の研究室を始めてからの研究は、数々の優秀な学生、ポスドクの多大な貢献によるものです。最後に、ハーバード大学で研究室を始めてからの研究は、 内田光子博士と共同で行ったものです。この場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。
図: A.光遺伝学的方法で同定されたドーパミン作動性およびGABA作動性ニューロンの活動パターン。匂い刺激(0−1秒)後、1秒の遅延期間を経て、報酬(水)あるいは不快刺激(空気パフ)が与えられた。ドーパミン作動性ニューロンは報酬刺激誤差をシグナルするが、GABA作動性ニューロンは期待された報酬に対応した活動を示す。B.狂犬病ウイルスを用いて同定されたドーパミンニューロンに直接入力する細胞の分布。 黒質緻密部(SNc)、及び腹側被蓋核(VTA)のドーパミンニューロンへの直接入力がそれぞれ赤、青色で標識されている。
経歴
1997年 京都大学大学院理学研究科にて博士号(理学)取得
1998年 理化学研究所脳科学総合研究センター 基礎科学特別研究員
2000年 コールドスプリングハーバー研究所 ポスドク
2006年 ハーバード大学 分子細胞生物学部 アシスタントプロフェッサー
2010年 ハーバード大学 分子細胞生物学部 アソシエイトプロフェッサー
2013年 ハーバード大学 分子細胞生物学部 教授(現職)